P.D.ジェイムズは、イギリスの女流ミステリー作家で1920年生まれです。作品数が少ない、1作品が長い、ちょっと暗くて重い――という作家です。
P.D.ジェイムズの作品は、じっくりていねいに読むか、速読する代わり何度も読み返すか、どちらかが必要です。

比較的読みやすいのが、駆け出しの探偵コーデリア・グレイが活躍する『女には向かない職業』。結構美女で、結構孤独で、泣いたり笑ったりもするけど全体に感情をおもてに出したがらないコーデリアを、つい応援してしまいます。
私がP.D.ジェイムズ作品で特に好きなのは、ダルグリッシュ警視が病院内のややこしい人間関係に挑む『ナイチンゲールの屍衣』。文庫本でぎっしり500ページもあります。(隈田たけ子訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)

このページは、『ナイチンゲールの屍衣』をめぐるあれこれをお届けします。
ダルグリッシュ警視ってこんな人
アダム・ダルグリッシュは、スコットランド・ヤードの主任警視。ロンドン警視庁をスコットランド・ヤードと呼ぶのは、歴史上の経緯があるらしいですね。以前どこかで読みましたけど、具体的には思い出せません。
事件が起こった病院の外科医コートニー‐ブリグズ氏による、ダルグリッシュ解説。
「実を言うと、わたしは彼を知っているんだ。そう良く知っているわけじゃないが、会ったことはある。思慮のある、頭のいい男だ。もちろん、たいそうな名声を得てもいる。じつに仕事が早いと言われているんだ」
看護婦養成所の主任教官シスター・ロルフが、ダルグリッシュをながめて。
尊大ななかにも繊細なところのあるやせた顔は、たいていの女にハンサムだと思われることだろう。おそらくそれは職業上の利点の一つであって、男であるからには彼もできるだけその点を利用するはずであった。
ダルグリッシュ警視は、詩集を出している詩人でもあります。身長は6フィート2インチだそうです。イギリス人として高い方なのかどうかはわかりません。ちなみに、部下のマスタースン部長刑事は6フィート3インチです。
「警察官としての二十五年の経験は」という表現があるので、年齢は四十代でありましょう。

「事件にかかっている時の彼にとって、十六時間の労働はいつものこと」だそうで、それだけ働けば「じつに仕事が早いと言われている」のも当然かも…?
その調子で部下を酷使するせいか、マスタースン部長刑事のダルグリッシュ評は…(仕事ぶりをけなされたときのもの)
部下の私生活についてはまったく無関心で、そんなものがあることすら気づいていないような男、その辛辣なウィットは、棍棒のようにおそろしいものとなり得るダルグリッシュ。その彼が思いやりだと! それなら彼自身はどのくらい思いやりがあるというのだ? 彼の目ざましい成功のうちどれほどが、思いやりによってなし得られたというのだろう? もちろん、彼が残忍であったことは一度もないだろう。けちくさい実際的暴力にかかわりあうには、彼はあまりにも誇り高く、潔癖で、自制心が強く、非人間的だったのだ。
読んだ印象では、彼は非人間的というより、感情や感傷をおもてに出したがらないタイプなのでしょう。『女には向かない職業』のコーデリア・グレイの同類で、P.D.ジェイムズの好みのタイプなのかもしれません。
ダルグリッシュは他者を理解もしているし、共感や反発も持っているのだけど、仕事の理想が優先しているようです。
(2002.12.27)
ミステリーには向かない読み手
はい、それは私です。謎解きとかトリックとか殺しの手口とかには、全然興味がないのです。
気に入った登場人物に感情移入しながら、登場人物や物語の展開や、描写の細部を楽しむ、という読み方です。私にとってミステリーは、“たまたま謎解きの要素がある物語”です。
 それからきっかり一時間後、とは言ってもナイチンゲール・ハウス内の誰ひとりとして記録した者もなく、聞きつけた者もなかったが、夜の間じゅう発作的にがたがたいっていた、温室の弱っていた窓ガラスが一枚、内側に落ちてモザイク模様の床の上に砕け散った。
冬の嵐の夜中に温室の窓ガラスが壊れても、「誰ひとりとして記録した者もなく、聞きつけた者もなかった」のは当然だと思うのですが、わざわざそう書かれるとやっぱり何となく怖いし、意味ありげですよね。本の解説に「暗い現実感」という言葉が出てきます。こういう描写がその効果をあげているのでしょう。
上の文が文庫の72ページで、温室が話の展開上重要になってくるのはなんと302ページ以降という、ホントに気長な小説です。


『ナイチンゲールの屍衣』は、ジョン・カーペンダー病院の看護婦養成所ナイチンゲール・ハウスで、2人の看護学生が死ぬ話です。
医者、婦長、薬剤師、看護婦など、みんな毒物の知識があるのでややこしい。実際、最初の死者が出たすぐあと、「洗面所の消毒剤の瓶がなくなっている」と気づいたのは看護学生の一人です。
専門用語でしゃべる世界の住人たちだけに、会話も独特です。
「事故だって? あんたは腐食性毒物が偶然、食餌のなかに、ひとりでに入りこんだと言うつもりなのかね?」
おもしろい描写だと思ったのは、職員用カフェテリアのメニューについて「泌尿器科の外科医の手術が行なわれた日にはレヴァーや腎臓が出されることはなかった」とあること。うーん、たしかにこれは食欲のためには必要な配慮なのでしょうね。

今思ったのですが…。私ってミステリーには向かない読み手であるだけに、犯人や結末をばらしたりすることがないのが、こういうページを書く者としては長所かもしれません。
(2002.12.27)
飲食問題その1――接待の心得
登場人物は、たいてい起き抜けには紅茶を飲みます。中国茶を飲む人もいる。人と会って話をするときはコーヒーか紅茶。寝る前はココア。お酒はウィスキー。
ダルグリッシュは、関係者からひととおり話を聞いたあと、誰かが気楽な、内輪のうわさ話を聞かせてくれないかと思っています。ちょうど、臨床教官のシスター・ギアリングが、やや色っぽく彼を午後のお茶に誘います。さっそく彼は、ナイチンゲール・ハウス内の彼女の部屋を訪問します。
お茶は申し分なかった。いれたてで熱く、たっぷりバターをぬってアンチョビー・ペーストをつけたクランペットがそえられていた。ありがたいことにドイリーだの、ねばつくケーキだのは出ていなかったし、カップの取手は指の位置を乱すこともなく、らくに握ることができた。
「クランペット」とか「ドイリー」がどんな食べ物なのかわからない。正体がわからなくても全然困りませんが。

私が興味を持ったのはその先。
「ねばつくケーキ」など食べにくいお菓子が出てきた場合、気兼ねなく一緒に食べられるのは、かなり親しい人とだけでしょう。
以前、喫茶店でうかつにもミルフィーユを頼んでしまい、ナイフとフォークが出てきたときには、後悔しました…。ナイフで切るとポロポロ崩れるし、無理やりフォークに載せても口へ運ぶまでに音を立てて落ちるし。
ここでは、単にダルグリッシュが甘ったるいお菓子を好まないだけかもしれませんが、接待するときは、お菓子の選定から十分気を遣うべきなのであります。

「カップの取手は指の位置を乱すこともなく」。これって非常にだいじだと思うのです。
私は先日、ネット通販でカップ5客セットを買いましたが、もし持ちにくかったら返品しようと決意していました。激安だったし、絵柄も気に入って注文したのですが…幸いにも取っ手は持ちやすく、人差し指と薬指が重なるような持ち方をしなくてすみました。
美しいティーカップというのは、ときどきどう持っていいかわからない取っ手がついていますよね。

ごたごたと部屋を飾り、そのくせセンス良く美しく花を生け、やたらダルグリッシュにべたべたし、行き届いたお茶を出すシスター・ギアリング。
警察官としての二十五年の経験は、彼に複雑なもの、矛盾したものを持たない人間はいないということを教えていた。
(2002.12.28)
飲食問題その2――コーヒーの入れ方
物語の舞台は1970年前後です。私は1964年生まれで、物心ついたとき、うちにはポットがありました。当時は「魔法瓶」と呼んでいました。
ところが、この物語では誰もポットを使っていないのです。紅茶やコーヒーを入れるときは、そのつどやかんでお湯を沸かしています。イギリス人はポット嫌いだったのでしょうか。日本でも、こだわる人は新しいお湯でお茶を入れますが…。

さてさて、ナイチンゲール・ハウス内に用意してもらった部屋で、マスタースン部長刑事は、自分とダルグリッシュのコーヒーを入れております。
食器棚のなかには、四個の大きなコップ、砂糖入れと紅茶入れ、ビスケットの缶、大きな陶器の水差しと漉(こ)し器、ひきたてのコーヒーの透明な密閉パックが三個入っているだけで、ほかのものは全部取り払われていた。流しのそばには牛乳瓶が二本。
マスタースン部長刑事の手順。まず牛乳をシチュー鍋であたためて…。
蛇口をひねってお湯で水差しをあたため、流しのそばにかけてあったタオルで入念に水気をとり、コーヒーをたっぷり入れると、やかんがふくのを待ち受けた。
  (中略…病院スタッフの印象を思い起こしている)
彼は細心の注意を払ってコーヒーを漉し、コップを警視のところへ運んで行った。

『女には向かない職業』のコーデリアもこの手順でコーヒーを入れていましたから、 P.D.ジェイムズの標準なのでしょう。
私がレギュラーコーヒーを入れるときは、三角のカップみたいな…調べたらドリッパーという名前でしたが…それに紙のフィルターをセットしてコーヒーを入れ、上から少しずつお湯を注ぎます。牛乳は、入れるとしてもほんのちょっとなので、温めたことはありません。

この人たちは、たぶん、たくさん牛乳を入れるのです。カフェオレなのでしょう。そうでなかったら牛乳が瓶2本も用意されているわけがありません。たくさん入れるのでなければ、いちいち温めることはないでしょう。
最後に「こす」のだとすると、日本人が急須でお茶を入れるときのように、コーヒーはお湯の中で泳いでいる状態でしょうか。どんなこし器なのかわからないけど、最後にこす。
この手順のほうが、フィルターにお湯をたらたら注ぐより手っ取り早そう。今度やってみようかな。といっても私は紅茶派で、コーヒーを家で飲むことは少ないのですが…。
(2002.12.28)
ダルグリッシュ警視の観察と表現
殺されたくはないけど、殺されて刑事さんが部屋を調べにくるのはもっとイヤだなあ。たとえば、どんな化粧品をどんなふうに持っているかで、私の性格や行動パターンが判断されてしまうのですよ。
これは、ダルグリッシュが2人目の死者ジョゼフィン・ファロンの、ナイチンゲール・ハウス内の部屋を調査しているところです。

そこには化粧品の瓶やチューブが、紙製の小さなトレイの上にきちんと並べられていた。彼が予期したよりもはるかにたくさんのものが見出された。クレンジング・クリーム、ティシュの箱、ファウンデーション・クリーム、白粉、アイシャドウ、マスカラ。(中略)しかしそこにはどれも一つの品物しかなかった。試用品や、衝動的に買ったもの、半分使ったもの、栓のまわりになかみがかたまってついている、使わなくなったチューブといったものは一つもない。
私の鏡台の引き出しときたら、ろくにメイクもしないわりにゴタゴタしてなかったっけ…。使いかけでやめちゃったものが、いくつか入っているし、もらったけど好みじゃなかったのが捨てられずそのままだったり。

ダルグリッシュは、職業上の習慣から、頭の中で目録を作りたがるのです。
記録するかどうかは別として、たとえばその部屋の調度や相手の服装を全部観察し、個別に記憶する。だから文章も、ファロンのつき合っていた男性の部屋を訪問すると、部屋の描写にまるまる1ページ、彼の服装や外見にまるまる1ページという具合。

淡黄色のポロネックのセーターは清潔で、両の袖口は他の衣類同様きちんと折り返され、真っ白なシャツのカラーが衿もとからのぞいている。青のジーンズは色あせていたがしみもなく、入念に洗ってアイロンがかけてあった。ちゃんと折り目をつけ、すそは折り返して丹念にかがってある。カジュアルな身なりに対してその几帳面さは、奇妙に不釣合いな効果をもたらしていた。
ごくごく一部を取り出してもこの細かさ。
たしかにカジュアルな衣類は、ふつうもう少しラフな着方をしますよね。着ている彼のアンバランスさが読みとれるのだけど、私にとっては「そう言われればそうだね」という感じ。私が刑事になっても成果はあがらないだろうなあ。
もっとも、ダルグリッシュが観察しているシーン以外でも、描写は詳細です。P.D.ジェイムズの小説家としての好みでそうなっているのも事実だと思います。
(2002.12.31)
ダルグリッシュ警視の訊き方
ダルグリッシュはこのアンバランスな若者に、結構きつい調子で質問しています。そういう問い方をしても答える相手だと楽観しているのか、そういう問い方をしなければ話を引き出せない相手だと計算しているのか。
ダルグリッシュが「きみがあてにならないから彼女は自殺したんだ」という内容で挑発し、彼が怒鳴り返したりしているうちに、彼は独特なことを言い出すのです。
「彼女は生きることのすばらしさを知っていました。長い間じゃありません。いつでもというわけでもありません。でも満ちたりてる時の彼女はすばらしかった。いったんそういう幸福を知ったら、自殺なんかしやしません」
ダルグリッシュは「きみの言う通りだと思う。わたしはジョゼフィン・ファロンが自殺したとは信じていないのだ」と答えています。

ジョゼフィン・ファロンをこのように美しく表現したのは彼だけです。でも、ナイチンゲール・ハウスの女性たちも、ファロンのことは「つき合いにくいけど、悪い人ではなかった」と一致しています。最初の死者ヘザー・ピアスについては、ナイチンゲール・ハウスの女性たちは一致して嫌っています。
ところが、ピアスの事件を捜査した地元警察のベイリー警部は、ピアスがみんなに嫌われているという単純な事実さえ把握できなかったのです。早い話が、ベイリーさんは一方的に、高圧的に尋問したので、女性たちをしゃべる気にさせられなかったわけです。自己反省を交えたダルグリッシュの考えでは――。
殺人事件の捜査がうまくいくかどうかは、一般市民に協力する気を、話す気を起こさせることができるかどうかという点に、大きく依存している。モラグ・スミスに対しては、ビル・ベイリーはしくじったのだ。アダム・ダルグリッシュも、彼の年ごろには失敗しているのだが。
相手によって訊き方を変えるダルグリッシュのテクニックは、警察の仕事以外にも応用できるでしょう。
ちょっと鈍いメイドのモラグ・スミスには「わたしも警官だし、いろいろときかなくちゃならない。警官は誰でも皆そうなんだ。きみが手をかしてくれないとどうにもならないのさ」と、わかりやすい表現で協力を求めているし、冷静で賢いマドリン・グッデイル看護学生には、明確な表現で質問を投げかけて、十分考える時間を与えるという方法をとっています。
でも、相手によって訊き方を変えるには、まず相手のタイプを見抜かなければならない。ここがむずかしいんですね〜。
(2002.12.31)
はじけるギャグのセンス!
『ナイチンゲールの屍衣』はどちらかといえば重苦しい雰囲気の話で、ギャグがはじけているという印象は、とりあえずないのです。ところが、「これをマンガ化したらどうなるかな」と考えていたら、意外に笑えるシーンの多いことが見えてきました。
たとえば、ダルグリッシュが事務のキーリー氏と対面するシーン。
ジョッキーのようながにまたの、赤毛のずるそうな小男で、格子縞のスーツを着ており、仕立の見事さがその模様のひどさをいっそう強調している。おかげで彼は子供のコミックに出てくる動物、つまり擬人化された動物のような印象を与えていて、ダルグリッシュは前足と握手することになりそうな気がしたほどだった。
ダルグリッシュを3等身で描いてもいいのであります。肉球のある動物の前足と握手しているときは。
このへんのシーンでの、ダルグリッシュの心の中もおもしろい。
こうした社交的な下工作は、つねに時間をくう迷惑なしろものなのだ。しかもまもなく婦長のきげんをとったり、相談したり、ことによったら敵にまわしたりしなくてはならないだろう。
「きげんをとる」「相談する」と、「敵にまわす」を並列するのが、なんかヘン…。そうだ、ここもギャグになりうる。
たとえば、もみ手をして愛想笑いのダルグリッシュ、必死に懇願しているダルグリッシュ、そして、ツノとキバの生えた婦長に怒鳴られているダルグリッシュ。…とコマ分けして描いてみると、こりゃひどい。
ダルグリッシュは「愛想笑い」とか「必死に懇願」なんてしそうにないので、ますます笑えます。ちなみに婦長も、ツノとキバをはやして怒鳴るなんてことはしそうにない人物です。

別のシーンで、メイドのモラグ・スミスがダルグリッシュに。
「冗談言わないで。あんたみたいな人は手助けなんて必要じゃない。ココナッツのなかにどうしてココナッツミルクができるか、あんたみたいな人はちゃんと知っているんだ」、
 ダルグリッシュはこのとんでもないたとえをよく考えてみたが、反対する論拠もないので、お世辞のつもりなのだと結論した。
「目が点になる」というシーンですな。そして「たらっ」という描写とともに「お世辞…のつもりなのだろうな、たぶん」となるのです。マンガは偉大です。すごくわかりやすい。
ギャグとして描けるシーンはまだたくさんあります。読む機会があったら探してみてくださいね。
(2002.12.31)